「差別」と「歴史を学ぶこと」について

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こんにちは、翔です。

今ニュースでよく見る差別問題に、この特定の話題に深く言及するつもりはないのですが、

ただ、なにもなかったように生活をするのも違うなあと思い、

私は今回「歴史を学ぶ」ということについて書いてみたいと思います。

先代の人たちは、なぜ「歴史」を書き残してきたのか、と考えると、

一つは偉い人たちが「自分の栄光をいつまでも残すため」ということもありますが、

「歴史をたどって過去の失敗から学び、新たな戦略を練るため」だと思います。

だから、私たちはもっと過去を知った上で、今後の未来を考えていく必要があると思います。

ここ最近の自粛期間に、ちょっとずつではありますが世界史を勉強し直しています。

そうすると、ニュースの出来事や他国の出来事も、表面的にではなく、長い歴史の中の一場面として捉えられるような気がしています。

その国のルーツを考えると、こういう事件が起こりやすいのかなあ、

なんてちょっとだけ想像力を働かせることができるようになると思うのです。

といっても、私もまだまだ頭空っぽな若者ではあるんですが、

ちょっとでもましになるように日々精進したいと思う所存です…

「歴史を学ぶこと」

私は、アメリカ留学では黒人の先生から「アメリカの黒人奴隷の歴史」を学んだり、

イスラエル出身の先生から「イスラエルとパレスチナ問題」について学んだり、

「ナチスドイツのホロコースト」の本を読んだりしました。

人類の差別と争いと平和の歴史、みたいなものを、色々な国を取り上げて学びました。

今思っても、なんと贅沢な授業を受けていたんだろうと思います。

その時、学んだアフリカ黒人奴隷の話は衝撃で、資料も豊富で、ヘビーな絵や写真も見せてもらいました。

高校の世界史で習ったことの比ではありません。本当にあり得ない劣悪な環境、支配と暴力。

そもそも、コロンブス一行がアメリカ新大陸(インドだと思っていた)を見つけた後、

原住民たちはヨーロッパから持ち込まれた疫病に今のコロナのように次々とやられていき、

人が足りなくて、今度はアフリカから奴隷を連れてきて、、、

それをアフリカ系アメリカ人の先生が熱弁を振るい授業をしてくれました。

それでも、その頃は「過去の歴史」と認識しながら勉強をしていました。

へー、そんなすごいことがあったんだ、今では考えられないな、とかぬるいことを思っていました。

当時の私にとって、「世界史」「歴史」は過去を学ぶものであり、

現代につながっているという風に捉えられていませんでした。

まさに、いろんな「点」について学んだだけで、「線」として考えていませんでした。

「歴史を学ぶ」ことで違う視点を養う

自粛期間で日本にいて、とても暇なので、ちょっとずつ自分なりに勉強を始め、

古代、中世、世界大戦、現代…と、まずは本とyoutubeで概要を勉強しているだけではありますが、

高校生の頃、受験のために勉強していた「世界史B」とは全く違った感覚で、驚きました。

これまで「歴史を学ぶ」ということが、学校での勉強で必要な暗記項目であると思わされていて、

変に年号やら人名やら土地名を覚えるのに必死で、

脈々と続いているストーリーを全く意識できていなかったなあ〜と思いました。

また、昔から人々がなぜ宗教を拠り所にしていたのか、とか

いや、むしろ国策として作られ変えられたものもあるのか、とかを学ぶにつれ、

唯一絶対のものなんてなく、絶対の神の定義だって何世紀の間、変わり続け議論され続け、

私たちが今思っている「歴史」も「思想」も「正義」も、「絶対」ではないんだと思えます。

めちゃくちゃ長いスパンで物事を俯瞰してみると、こうも違った見え方をするのかと思うわけです。

また、どの国視点でみるか、どの民族視点でみるか、でも歴史の見え方は全く違います。

日本人の歴史観は、やっぱり欧米(特にアメリカ)から影響を受けていることは否めません。

「歴史」は勝者が書き残していくものなので、

長い年月をかけて西洋の歴史観が世界の主流になってきているので、

私たちが知っていること、学んできたことは、あくまで一側面からの歴史でしかないということも

また、改めて考えると意外な発見だなあと思います。

「アメリカ」を考える

今回読んだ一冊の本のごくごく1章にすぎませんが、アメリカについても記載がありました。

アメリカという国はそもそもどういう成り立ちだったか?

アメリカは、作られた人工国家。世界の中でも、長い歴史を持たない極めて珍しい国。

原住民のネイティブアメリカンは文字を持たず、ヨーロッパからの疫病で激減したり、

開拓支配のために多くの人が虐殺されたりして、

西洋的歴史観でいえば「アメリカ」はその後に初めて歴史が始まったことになるので、

土着の文化や歴史や伝統がない中で、憲法と契約主義によって成り立った国である、

というようなことが本に書いてありました。

だからこそ、理性で考えることが全て、それによって作られた憲法を守り、契約を交わし、

「正義か悪か」「YesかNoか」と白黒をつけないといけない文化が生まれた。

アメリカよりもさらに長く、支配され合い争い合い融和し合いなんとか今の形を作ってきた大陸の歴史では、

これまでの伝統やならわしや過去の力関係とか、まさしく忖度とかで、

成り立っている曖昧なルールというものがあったりすると説明されていて、なるほどな、と。

もちろん、それがアメリカの全てだとももちろん言えませんが、

「国ごと地域ごとに文化や考え方が違う」のは「歴史背景が違うから」だ

ということを改めて考えさせられました。

なんでこんな思考・発想になるのか理解できない、普通ならこうだろう、というような

こちら側の解釈ではなかなか納得できないような事象も、その国固有の考え方があるからこそ。

もちろん、人種・民族による優劣は本来ならあり得ません。

実際にそこに「差」はあるのか?それってなんなのか?と考えると、

それは個人的には「歴史上で作られた概念である」のだと思います。

でも、長い歴史上支配関係にあったり、宗教や慣習上の優劣が長年存在してきた土地において、

その地で生まれ育った人たちにとっては「絶対的なもの」だったのだろうし、

支配している側は、それが覆されたり脅かされたりすることへの本能的な恐怖みたいなものが

より人々も攻撃的にさせ、差別を助長しているのだとはないかな?なんて思います。

でも、逆に言えば、私たちは今後何百年・何千年と続いていく歴史上の一地点にいるわけで、

何百年の歴史の中で少しずつ改善されたり、人々の思想が変わっていったりしている事実もあります。

この地点から未来の何百年先を作っていくために、

何かを変えていく努力することはかなり意味のあることだと思います。

「争いの背後にあるもの」について考えてみる

ちなみに私の所属していた大学のゼミの教授は、

「わかりやすく説明されているものには、見落とされている背景が多く存在している」

として、池上彰(笑)のTV録画を流して、

「今の説明ではこの争いは「宗教」が原因とされていたけど、その背景には何があると思う?」

という議論をしたりしていました。

(池上彰は難しい問題をわかりやす整理している点では天才的だと思う)

歴史を勉強すると、単純な「二項対立」では説明できないしがらみが存在することがよくわかります。

「宗教争い」「民族争い」とか「善VS悪」とか「欧米VS中東」とか「白人VS黒人」という言う方が、

説明が簡単で、人が理解しやすくて、納得させやすくて、人を扇動しやすいという側面があり、

それに流されていつの間にかその裏に隠されていた国同士の資源争いや政治圧力とか

そういうものが見えにくくなる、ということを大学時代にも学びました。

まさに、今、歴史が大きく動いてい瞬間だとは思いますが、

私たちは切り取られた一場面を見ているだけではないか?この争いには他の力が作用していないか?

という側面も踏まえつつ、冷静に判断することも大事だとは思います。

「知識」を役立てる人間になる

なにが言いたいのかわからなくなってきましたが、

とにかく、自分自身を理解するためにも日本史を学び、

世界の人々を理解するためにも世界史を学び、もっと広い視野で物事を考えられるようになりたいな、

と、この自粛期間中でぼんやりと思ったりしました。

事件が起こったから、というわけではなく、

どんな日常にも差別とか争いとか対立とかって存在していて、

その背景にはなんらかの歴史があり、それをまずは知った上で考えるというのは大事だと思います。

すべてを「理性的に」「合理的に」「常識的に」考えたら、こうだろう、

と思うのではなくて、違う視点でも見られる人間になるためにも、人は歴史を学ぶのだと思います。

つまり何が言いたいかって、人生は一生学び。

「Educate yourself」と今回の被害者家族の方がおっしゃっていました。

現在では、しばしば選挙に参加しよう、意志を持って投票しよう、

という意味にも置きかえられているようですが、本来は、それも含めて、

「学ぶことで物事を多面的に考えよう、他者を思いやるには相手についてよく知ろう」

っていうことでいいんじゃないかな、と私は勝手に自己解釈しながら、

今日もちょっとずつ勉強を続けていこうと思っています。

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